若宮八幡宮 御祭神
大鷦鷯尊
太田稲荷 神社御祭神
倉稲魂命( |
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若宮八幡宮
創建は室町時代初期の応永6年(1400)頃佐竹藩主12代の義人(義仁)公(上杉憲定の次男で婿養子)が
鶴岡八幡宮より分霊を太田城(舞鶴城)に勧請((分霊を他の地へ移すこと)
したのが始まりで佐竹氏(初代の藩主は源昌義で姓を佐竹に改め)は源氏の血を引くため八幡信仰に深く歴代当主が崇敬した。
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太田稲荷神社の創祀は遠く太田城が佐竹氏になる前に藤原通延(太田大夫通延)が始めてこの地に居城を構えた頃に
遡ると思はれる。元禄5年(1692)光圀公桜花を鑑賞のため来城、古来より聞きし稲荷の御神体を拝し感激、幣札
((水戸藩の藩札を供えたという事ではないか)を致す。安永5年(1776)京師(
(平城京、平安京の後桃園天皇(に上り、神階宣下
((神号と階級)を蒙る。
本殿は八幡宮(京都の石清水八幡宮)の分霊、応神天皇(誉田別尊()と
若宮八幡宮(鶴岡八幡宮)の分霊、仁徳天皇(大鷦鷯尊()の分霊二棟が並んで
祀られています。佐竹氏が移封された秋田の大館八幡神社でも同じ形式で祀られています。
鎌倉鶴岡八幡宮より分霊を勧請の折り、鶴子という者(女性)が供奉((一緒にお供)
して来た、数世祭祀を司った(数世と祭祀はわけて読む)、何年か祭祀を行ったと解釈)鶴子舞を奉納した、近年この
舞の奉納が復活五年に一度の神幸祭には、鎌倉の鶴岡八幡宮で氏子の子女が習いに行って披露している平成22年
5月16に浦安の舞、豊栄の舞、八乙女の舞が奉納され、平成27年5月10日春季例大祭に鶴子舞が奉納された。
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