こちらより助さんへ戻る
佐々宗淳((佐々木 介三郎)の碑は、常陸太田市増井町
正宗寺(の裏にあります、近くには、佐竹藩の墓地があります。
通称 介三郎は1640年(寛永17年)に瀬戸内の一小島で生まれた、そのため幼名は島介といった。
1654年(承応3年)15才で京都の臨済宗妙心寺の僧侶になり祖淳と号した、梵網経の一節を読んで仏教に疑問を抱き、
密かに論語を読み儒学に傾倒するようになり還俗(
(一度出家した者がもとの俗人に戻ること)し江戸(東京)に出て1674年(延宝2年)水戸家 徳川 光圀に仕え、35才で
彰考館の史臣となり、光圀公が日本の記録を残して置くため大日本史の編集の調査収集の一翼の担い手として全国を巡り歩いた、
1687年(元禄元年)彰考館総裁となり、1696年(元禄9年)に彰考館総裁を辞職し、常陸太田市の西山荘に隠居した光圀公に近侍
不老沢(に居を構えた、59才の若さで没した、 明治40年に従四位の勲章を貰った、
テレビの水戸黄門漫遊記の助さん格さんと全国を回って
水戸黄門様をお守りしていることは皆様ご存知のことでしょう。
こちらより助さんへ戻る
|