西光寺は奥州藤原氏初代清衡の娘(初代佐竹昌義の妻)が息子(二代目藩主)佐竹隆義の 娘が眼病で治癒するために当地に建立した。堂宇の建立は、仁安元年1167年筑波山寺の 徳一大師開基とあり、途中で西光寺に寺号が変わった。真言宗豊山派の寺院で明治時代に (明治維新に廃仏毀釈を行ったためなのか)無住職になり大正12年火災に遇われ、現存の 仁王門が残り本堂や薬師堂などは焼失してしまったが、薬師如来坐像や、仁王像は、近在 の方達が運びだし無事でしたが、木造薬師如来坐像の光背が一部焼損し、仁王像も手や 手首等が焼失した。