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西 光 寺場所は常陸太田市下利員(しもとしかず)町957番地

西光寺は奥州藤原氏初代清衡の娘(初代佐竹昌義の妻)が息子(二代目藩主)佐竹隆義の
娘が眼病で治癒するために当地に建立した。堂宇の建立は、仁安元年1167年筑波山寺の
徳一大師開基とあり、途中で西光寺に寺号が変わった。真言宗豊山派の寺院で明治時代に
(明治維新に廃仏毀釈を行ったためなのか)無住職になり大正12年火災に遇われ、現存の
仁王門が残り本堂や薬師堂などは焼失してしまったが、薬師如来坐像や、仁王像は、近在
の方達が運びだし無事でしたが、木造薬師如来坐像の光背が一部焼損し、仁王像も手や
手首等が焼失した。

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木造薬師如来坐像    薬壺 木造薬師如来坐像

西光寺の指定文化財 国指定重要文化財

像の高さ約1.5m台座を含め2,9m九重の蓮華座の上に座り背後に飛天の光背があります。榧(カヤ)の木で造られた ものです。光背は二重円で最上部に大日如来左右に11躯の飛天があります。関東定朝(じょうちょう)の彫刻作風で 平安時代後期の作ではないかとおもはれる。左手に薬壺が乗っております。
吽形(うんぎょう)
像高2.31m重量246㎏桂木(かつら)の一木造りです。昭和初期の修理で使われた釘や鎹が 錆て、また台座が小さく自立できなくなり、平成17年から18年にかけて東北芸術工科大学 文化財保存修復センターで、解体修理を行った時享保2年(1717)の銘が入った修理札と 般若心経の巻物が見つかりました。
阿形(あぎょう)
像高2.36m重量230㎏欅(けやき)の一木造りです。昭和初期の修理で使われた釘や鎹が 錆て、また台座が小さく自立できなくなり、平成17年から18年にかけて東北芸術工科大学 文化財保存修復センターで、解体修理を行った時享保2年(1717)の銘が入った修理札と 般若心経の巻物が見つかりました。

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