正宗寺 アクセスカウンター
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正宗寺の開山は1341年(暦応4年)佐竹第9代藩主貞義公の子で月山和尚が建立し

佐竹藩の菩提寺とし歴代の墓が裏にあります、常陸臨済宗で本尊は茨城県指定文化財

十一面観世音菩薩像です、寺宝に、滝見観音図・雪村書、十六羅漢像・16幅

夢窓国師頂相、月山和尚頂相、如意輪観音図、書籍・正宗寺所蔵文書(光圀公よりの手紙)

等があります、所蔵文化財は毎年10月第3の土曜、日曜に、虫干しのため一般公開されます

写真等の撮影は禁止されております。徳川時代朱印百石を授かり拾数寺の末寺を持っていたとされています

佐竹一族の墓  正宗寺は、臨済宗の寺で萬秀山と号し、常陸太田市内増井町字東寺領に建てられている

字名にも東寺領、西寺領などが残っているように、この辺一帯には、太田城(舞鶴城)の城主であった

佐竹氏とゆかりの深い勝楽寺、正法院、正宗寺が、棟をならべ、常陸における一大文化の中心地であった

この正宗寺の裏山に数多くの宝筺印塔(ほうきょういんとう) は、佐竹氏代々の墓塔と伝えられており、

銘がわからず何代の城主のものであるかは解らないが、墓塔の笠の四隅の飾り、突起の直立に近い形は

時代の古さを物語っている。一説には、秋田への国替えに際し、一族の墓石を秋田へ運んでいったともいはれているが

他の佐竹氏にゆかりがある寺に、佐竹氏の墓石と伝えられる宝筺印塔等が残っているのを見ると、秋田への国替えの際

位牌だけ秋田に移され、墓石は、ここに残されたものといはれている

近くに那珂通辰(なかみちとき)の墓があります

由緒は立て札を参照下さい。

また少し離れた場所に雪村が住職になった耕山寺があります。うちわを作った竹林もあります。

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